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2005年9月の13件の記事

「重耳」/宮城谷昌光を読んで

 この本は、宮城谷昌光氏が著した本の中では自分が始めて買った本です。この本を買ったのは1993年ですので、もう12年たったことになります。年月の流れは早いなあと読みつつ思いました。
 さて内容ですが春秋の五覇の一人となる文公(重耳)の生涯を記したものですが、祖父の武公(称)、献公(詭諸)を含む三代について記しています。称による晋の再統一と死、詭諸による三太子の忌避と放逐、重耳の19年の諸国放浪と晋の国主への道、そして中華の覇者への道といったものです。
 宮城谷昌光氏の小説の傾向として本題より周辺を詳述するといったところがあると思います。この本では特に、小国の君主としては大度な”称”、重耳について諸国を巡った重臣の狐偃・狐毛の父である”狐突”、詭諸の廃太子である”申生”が特に目立ちます。
 ”称”は人主としての在り方が良い人物です。次代息子の詭諸が人格的な低さを感じさせる人物であるために、特に目立ちます。また、重耳を見出した人物としても特筆すべきです。
 ”狐突”は、献公の太子である申生(共)の師であるにもかかわらず、息子二人をなぜ重耳につけたのかを記していたり(占いの結果を受けて)、二千の兵で四万の兵を退けるところが印象的です。
 ”申生”は師の狐突らによって、勤格で孝子な人物に育ちましたが、女兵である驪姫によって陥れられてからはその性格に固執することによって、返って父である詭諸を貶めることになったという指摘はなるほどと思いました。
 重耳が諸国放浪へと出てからの話は、知っている話が多かったですが、重耳が覇者になれたのは自らの欲望というより重臣たちに引っ張られた感がありますが、それよりも諸国を巡ったことによる人格の成長が大きいとの話は、考させられるものがあります。

 自分としては、国主となってからの事跡が城僕の戦いを中心に書いていてそなたの施政について書いていないのが残念に思います。ですが、後書きにかいてあるとうり長い間書こうとしてようやく書いた本だけにとてもよい作品だと改めて思いました。

 

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境川流域散歩・覚圓坊

 前記の木曽一里塚より50Mほど町田街道方向に歩くとすぐ右側に覚圓坊が見えます。寺は公園とひとつの敷地内にあるようで寺域は広いです。武相三十三観世音霊場にされている寺ですが、寺は荒れ放題で酷いものです。手水舎には水は無く、注意書きの立て札ばかり目立ち、住職は常駐しているようにはみえませんでした。寺の沿革には、”多くの人々から尊崇され六百三十余年の信仰を今に伝えています”とあるが現在ではひどい誇張となっていると思います。

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以下は説明板より引用です。

 吉祥山覚圓坊

 宗旨 天台寺門宗
 本山 大津市総本山円城寺(三井寺)
 本尊 聖観世音菩薩
 経典 法華経 阿弥陀経 他

 木曽の観音様として古くから親しまれてきたこの寺は、もと近江国円城寺(三井寺)六百二十一坊の一寺で、康平六年(1063)円城寺第二十三代長吏覚圓僧正が同寺中の金堂(国宝)裏に開基せられ、本尊聖観世音菩薩(坐像三尺)は僧行基六十歳これを刻むと伝えられています。
 縁あって観応二年(1351)武州多摩郡木曽の当地に移され、多摩郡の霞頭となり三井修験の教勢大いに振い、武相観音霊場の第三十三番札所となり多くの人々から尊崇せられ「ここぞ三十三菩提心」詠まわるに至り、信心の男女礼拝を重ね六百四十余年の信仰を今に伝えています。  武相第三十三番 木曽観音

 この荒れた寺域を足早に去ることにしました。その後、カメラを見ようと「写真屋さん45」に寄ろうとしたら、店をたたんでおり良く利用していた店なので残念に思いながら家路へと着きました。

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境川流域散歩・木曽一里塚

 本日は、以前歩いた龍像寺方面と逆に境橋から町田街道へ向かって600Mほど歩くと木曽一里塚に着きました。一里塚はの名の通り、一段高く作られたものでした。一里塚の石碑や灯篭は近代以後建てられたもののようですが御嶽山大口真神の小祠と榎の木は当時のもののようです。何故か彼岸花が植わっていましたので写真を撮ってみました。

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以下は説明文より引用です。
織田信長以後、日本が統一へと動き始めるとともに、陸上交通の整備に力が注がれ宿駅制度も整ってきた。とくに慶長九年(1604)江戸幕府が江戸から四方に向かう五街道(東海、中山、奥州、日光、甲州)を作らせたことは著名である。一里塚はこれらの路程標識のために一里の間隔で塚を道の両側に築いて榎を植えたもので、一里を三十六町(約4km.)と定めたのもこれ以後のことといわれている。 木曽の一里塚は両側にあったが現在は西側のものだけが残っているもので、塚の上には武州御嶽山の大口真神の小祠がある。この一里塚は奥州古道に作られており元和三(1617)年徳川家康の遺骸を久能山から日光に改葬するにあたり、大久保石見守長安によって作られたものと伝えられている。この街道は奥州に通ずる大道で江戸表を通るより近道で安全であったといわれている。
 次に覚圓坊へと向かいました。

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「X」/CLAMP

 漫画「X」をなかなか19巻が発売されないのは、なぜだろうと思いつつ18巻を久しぶりに読みました(3年振り?)。この作品の読み始めは、、WOWWOWでのアニメ放送を偶然みたことがきっかけでした。そのときの感想は、やけに血や死がはっきりと描かれた作品だなーといったものでした。CLAMP作品はいくつか読みましたが、この作品は知らなかったので読み始めました。この作品について、なぜ3年以上発売されないのかと作者の公式HP(http://www.clamp-net.com/)を見てもなにも記されておらず、自分は連載雑誌を読まずに単行本のみこの作品の舞台が1999年の東京なので、99年を過ぎたので描くのをやめたのかと勝手に推量していました。今回ネットで調べたところ、

 リンク: X (漫画) - Wikipedia.

連載中止の原因は阪神淡路大震災や神戸連続児童殺傷事件が起こったことにより、4人が予定しているエンディングを載せることが現時点では内容及び描写上難しいと出版社が判断したため

だそうです。角川書店でなければ出してくれるのに、だいたい神戸のような事件はいくらでも起きているのにこれではいつまでたっても連載の再開はないのではないのでは?と感じます。「ツバサ」なんかよりよっぽど面白いと思うの残念です。

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ごみ有料化について

 町田市でもごみの有料化が10月から始まるとのことで、近くのコンビニでも市指定のごみ収集袋の取り扱いが始まったようだ。しかし値段を見ると、大袋(40L)で1枚80円と高い。そこでネットで調べてみると、北九州各市では1枚45円程度なのになんでこんなに高いのだろうか。そもそもごみの処理は、税金で賄うべきでそのために各自治体に税金を納めているはずなのだが。市の言い分としては、ごみの出る量を減らすためには有効な手段だと言うのであろうが。それならば、年何枚かを配布しそれ以上出たら有料とし余ったら報奨金を出すといった制度にすればいいのにと思う。それじゃないと、不法投棄が増えるだけだと思うんだが。

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リアルバウトハイスクール12/雑賀礼史

 この本を読んだ感想ですが、いまいち面白くも特別に感じたことも無い作品でした。この巻の前後から、話の転回時期だからとも思いますが。最初の3~4巻は、話の流れや登場人物も面白かったのですけどねえ。ただ著者は、「龍炎使いの牙」なんて作品を書いた人ですので、やっぱりああいう作品が書きたいのかなと感じました。

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「歴史のしずく」/宮城谷昌光を読んで

p> 昨日今日と涼しく過ごし易い気温へとなりましたが、このまま秋へとするのでしょうかねえ。暑いのが苦手な自分としては、逆戻りしないことを願います。

 今日は、表題の本を読みましたので感想を記したいと思います。この本は、副題として”宮城谷昌光名言集となっており、宮城谷氏が書いてきた歴史小説の登場人物が発言した発言を元に編集された本です。各それぞれの言葉の内容は良いものが多いです。しかし問題点としてはその発言者の履歴や状況などに説明がほとんど無く、表面的な理解で終わってしまいそうな点です。

よってこの本は宮城谷昌光氏のファンの人が、各発言を読みつつ過去の作品を思い返しまた読み返すといった本ではないでしょうか。自分は、ほとんどの作品を読んでますので問題ありませんでしたが。

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選挙を終えて

 総選挙の投票と結果が出ましたね。自民党の圧勝になってしまいましたが、自分は民主党に投票して来ました。

投票行動の前にまずは、今後4年間の政治をまかせる政党を選ぶために、マニュフェストを読んでみました。民主党以外の野党は抽象的な言葉でしか目標を書いていない上に、自民党は郵政民営化しか記しておらず政権政党にもかかわらず数値目標が少ないので比較問題として民主党になりました。 

郵政民営化に関しておもうのは、小泉首相が政権を握ってからずいぶん経ちますがいまだに「改革の入口」とか言ってるようでは、何十年かかるか分かりませんね。 

アジア外交に関しては、周辺国全てから敵視されている状態では政権が変わる必要性も有るのではとも思います。台湾ともっと外交関係を結ぶ必要性も有るのではないかと感じています。 

この自民党の大勝がこの国の歴史にどういった関与をするのか見守る必要があると感じた総選挙でした。

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いっしょに朝ごはん・深森あき

まんがタイムラブリーという雑誌で以前から探していた作品をようやく見つけました。表題の作品がそうでまんがタイムラブリーでたしか描かれていた作品でしたがいつのまにか見かけなくなり、それがきっかけでまんがタイムラブリーは読まなくなりそれ以来見かけなかったので久しぶりに読むことができてうれしかったです。

作者のHPによると、一年間休載期間が有ったとのことでこの期間に読まなくなったのでしょう。今連載している作品は、自分が読んでいた作品とは微妙に違うようですが。もし単行本を出されていたら、買い求めたいと思います。

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境川流域・境橋を歩いて2

  一本松跡地案内板から道を境橋へと20M程度戻ると、「曹洞宗淵源山龍像寺」という石碑?が立っていますので、 そこを左に曲がると緩い下り坂をくだっていくと龍像寺へと辿りつきました。尚、この坂の名を「龍像寺坂」と呼ぶようです。由来は、龍像寺の山門 へと続いているのでこの名があるからだそうです。また、むかしは「おお坂」とも呼ばれていたそうです。

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 下り坂を降りきったところで山門にたどり着きました。 山門をくぐる と正面に本堂が有り、右側に手水舎・左側に鐘 楼が建てられています。本堂右側には、社務所があり、寺の由緒書き等がないかと聞こうと思いましたが その日は何らかの会合が行われていたので、遠慮しました。

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境川流域・境橋を歩いて

     今日は、町田市が発行している"境川流域散策絵図"を元に木曽町境橋の近辺を歩いてきました。___011

まずは境橋を渡り、坂道を50Mほど登ると「一本松跡地 右当麻___004山道 左磯辺街道」と いう案内板が立っていました。右の山道を歩いていくと左側の丘の上には、道祖神と庚申塔が建っていました。

道祖神は、大正二年に建てられたようです。___005

___007 庚申塔には、寛永七年建立と彫られています。また、右当麻道・左座間道と各面に彫られていました。

道祖神と庚申塔が建っている丘の上には、廻り道をしないと行けません。山道を歩いている間ずっと蚊に刺されて大変でした。

この後、龍像寺に行きましたが続きはまた後日の更新にしたいと思います。

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「長城のかげ」宮城谷昌光著を読んで

 この本は、秦末から漢初にかけての二大英雄”項羽”と”劉邦”を周辺の人(友人・息子・側近)から見た人物像を描いた短編集です。中でも「逃げる」という短編が好きです。季布という将軍から見た項羽という人物の最後の身の処し方と自らの行く末が描かれています。季布を助けた人物として朱家という侠客が登場しますが、この人の名前からHNをつけさせて貰いました。

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ブログ公開開始

 本日よりブログの作製を始めました。最初はブログではなく、HPというかたちで始めようと考えていましたが、とりあえずはブログというかたちで始めることにしました。内容は、読んで面白かった本や、旅行の写真などをアップしていきたいと考えています。

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