境川流域散歩・木曽一里塚
本日は、以前歩いた龍像寺方面と逆に境橋から町田街道へ向かって600Mほど歩くと木曽一里塚に着きました。一里塚はの名の通り、一段高く作られたものでした。一里塚の石碑や灯篭は近代以後建てられたもののようですが御嶽山大口真神の小祠と榎の木は当時のもののようです。何故か彼岸花が植わっていましたので写真を撮ってみました。
以下は説明文より引用です。
織田信長以後、日本が統一へと動き始めるとともに、陸上交通の整備に力が注がれ宿駅制度も整ってきた。とくに慶長九年(1604)江戸幕府が江戸から四方に向かう五街道(東海、中山、奥州、日光、甲州)を作らせたことは著名である。一里塚はこれらの路程標識のために一里の間隔で塚を道の両側に築いて榎を植えたもので、一里を三十六町(約4km.)と定めたのもこれ以後のことといわれている。 木曽の一里塚は両側にあったが現在は西側のものだけが残っているもので、塚の上には武州御嶽山の大口真神の小祠がある。この一里塚は奥州古道に作られており元和三(1617)年徳川家康の遺骸を久能山から日光に改葬するにあたり、大久保石見守長安によって作られたものと伝えられている。この街道は奥州に通ずる大道で江戸表を通るより近道で安全であったといわれている。
次に覚圓坊へと向かいました。
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